議論

精神科医さわさんと「健全な中学受験」を考える。受験する親子に必要なのは、不完全な自分を受容する力?

2026.07.09
『中学受験には「議論」が足りていない』――その課題意識で始動した対談企画。第3回のゲストは児童精神科医のさわ先生。ご自身の中学受験で感じた苦しさ、子どものSOSサイン、健全な親子関係のために意識すべき心構えなどについて、SPRIX代表 常石博之と議論を交わしました。

「存在していいかどうか」が危うかった思春期。

常石:今日はよろしくお願いします。児童精神科医の視点から、中学受験についていろんなご意見をいただければと思っています。さわさんは、ご自身も中学受験を経験していますよね?

さわ:よろしくお願いします。私は三重県四日市出身で、中学受験のために小学5年生くらいから名古屋の塾に通っていました。それまでは地元の小さなお寺がやっている個人塾に通っていたんですが、そこでは常に一番の成績で、得意な算数は解けない問題がないくらいだったから、とにかく勉強が楽しかったんですよ。 

常石:それは素晴らしいですね。

さわ:兄が愛知県の東海中学校、姉が三重県の高田中学校に通っていたので、3人目の私はどうする?ってなった時に、兄が楽しそうにしていたから「東海に行きたい」って思ったんです。でも、男子校だからもちろん無理じゃないですか。それで、「東海に雰囲気が近いのは、高田より南山なんじゃないか」という理由で南山中学校を目指しました。

常石:なるほど。志望校が決まって、それから本格的に勉強するために名古屋の塾に移ったわけですね。 

さわ:そうです。そして大手の塾に通い始めたら、途端に成績が下がっていってしまって…。

常石:それはもしかすると、塾が合っていなかったのかも…?

さわ:自分の子どもにADHDの診断がついて改めて思ったのですが、私もADHDに近い特性を持っている自覚があって。計画どおりに勉強することが昔から苦手だったんです。最初に通っていたお寺の塾は、大量に宿題を渡されて、それをとにかくやるだけでした。でも、大手の塾は毎週のテストに向けて自分で勉強しなきゃいけなくて、自己管理が必要だったんですよね。

常石:まさにその通りで、ADHDの特性を持つお子さんは、適量を探って細かく期限を切って、塾側がちゃんと管理してあげた方が伸びるという実感があります。

さわ:自分の中学受験を振り返ると、正直、思い出すだけで涙が出るくらい辛かったんです。大人になった今なら「勉強ができなくても親は私を愛してくれていた」とわかりますけど、当時は「勉強ができない自分なんて生きる価値がない」と思っていて。名古屋で通っていた塾は毎週木曜日にテストが返却されるんですが、みるみる偏差値が下がっていって…。もう、それが怖くて怖くて。「大災害が起きて家のポストごとなくなればいい」とか、木曜のたびに「みんな消えちゃえ」とか思うくらいで。

常石:それはきっと、心のケアが必要な状態でしたよね。

さわ:それまでは勉強が楽しくて仕方なかったのに、中学受験の準備を始めたら、成績が下がっていくのがとにかく怖くて。「カンニングしてる自分、終わってるな」とか思いながら、何度もカンニングしました。「お母さんが不機嫌になるくらいならカンニングしてしまえ」って思って。さすがに中学受験の本番はしなかったと記憶しているんですが。精神科医として、親として考えると、「子どもがカンニングをしてしまったらそれは怒る時じゃなくて立ち止まるべき時」って思うんです。

常石:本当にそうですね。そこまでしてしまうほど、追い込まれているということです。

さわ:第一志望の南山中学にはどうにか受かりましたが、中高6年間ずっと200人中180番くらいの成績でした。周りは1年生の頃から「私は名古屋大学の医学部に行くんだ!」って目を輝かせたり、勉強が楽しくて仕方ないって子たちが多くて、なんかもう違う世界に来ちゃったなって感じで。明るい性格なのでそれなりに楽しい学校生活を送りましたが、部活や恋愛でちょっとでも挫折するとすぐに「生きてる意味がないんじゃないか」って思っちゃうような子どもでした。「存在していいかどうか」が危うい思春期でしたね。

同時に、「人はなぜ生きているんだろう」「なぜ死んじゃいけないんだろう」ってことをよく考えていたので、そういうことが今精神科医をやっていることにも繋がっているように思います。

常石:私たちの調査結果を見ても、中学受験をする子どもの半数以上がストレスやプレッシャーを感じているようです。そして、約半数の子どもが「親をがっかりさせたくない」と思っていると回答していました。

さわ:こういう話をすると、「でも成功して医者になれたでしょ」「勝ち組じゃん」って言われたりもするんですが、決してそうじゃない。私はたまたま生き延びられたけど、命を絶ってしまう子どもたちが実際にいます。なので、結果的に自分の親を批判することになってしまうけれど、私が辛かった経験を世の中の親に知ってもらいたいと思って活動しています。自分や母のためではなく、家庭が安心できる場所じゃなくなってる子どもを救うため、社会を変えるために書くから許してくれって、母にも許可を取りました。既読スルーでしたけど(笑)。今では私の本を宣伝してくれているくらいなので、何でも書いていいと許可をもらえたということにしています。

常石:子どもはどうしても親の顔色を窺ってしまうし、「親のために」って無理しちゃう子も多いと思います。それが、「まだ頑張りたい」なのか「本当は限界」なのかを見極めるのが難しいなと思っていて。子どもからのSOSはどのように感じ取ったらいいんでしょう?

さわ:私は、辛そうな子に対しては「死にたいって思ったことはある?」ってストレートな質問をしていいのではないかと思います。そんなこと聞いちゃいけないって思う親や先生が多いと思いますが、答えにちゃんと向き合える覚悟があるなら、絶対に直接聞いた方がいい。それしか自殺を止められる方法ってないと思うんですよ。リストカットしているとか、市販薬をオーバードーズしているとか、わかりやすいサインもありますが、親によってはそれすらも見て見ぬふりしたり、「ただ構ってほしくてやっているだけなんでしょ」「死にたいって言ったら優しくしてもらえると思っているんでしょ」と捉えてしまったり。

その「死にたい」が本心かどうかなんて考えても無意味なんです。そういう言葉を口にしているという時点でリスクが高い状態なんだということを広く知ってほしいです。もし自分自身でケアするのが難しければ、安心して相談できる相手に繋げてあげたりだとか。SOSを出せないっていう状態が一番危険なので。

常石:なるほど。親はもちろん先生にも必要な心構えですね。

さわ:国や自治体がゲートキーパー養成講座をやっていたりするので、親や先生で本当に学びたい人がいたらそこで勉強するのも一つの手かもしれません。塾に1人でもゲートキーパーがいると、より安心して通えるかもしれませんね。10人に1人は死にたい子がいると言われる時代で、ましてや受験勉強をしている時って、きっと苦しい思いをしている子がいるに違いないので。

親や先生から植え付けられる劣等感は不必要。

常石:さわさんのお話を聞いていると、「勉強できないと存在価値がない」と思ってしまうのと同時に、「親が幸せを願ってくれている」とちゃんと実感できているお子さんはきっと多いんだろうなと思いました。その状態で、情緒不安定になったりカンニングをしたり、マイナスの方へ突っ込んでいってしまうのは何がアクセルになっているんでしょう。やはり子どもは親のことが好きだから、親を忖度して、喜ばせるために頑張りすぎてしまうのでしょうか?

さわ:私の場合、親はもちろん、塾や学校の先生など、常に大人の顔色を窺って生きていましたね。兄と姉を見て育ったからか、こうしたら怒られる、こうしたら喜ばれる、って言うのを理解している子どもだったのかもしれないです。だから、母から直接的に「医学部に行ってほしい」と言われたことはありませんでしたが、「たぶん医者になってほしいんだろうな」と肌で感じていました。一度「早慶の理工を受けようかな」って言ったら猛反対されて。それって口には出してないけど「医学部に行ってほしい」ってことじゃないですか。

常石:無言の圧力というか。

さわ:しかもうちは、国公立の医学部じゃないとダメだって父に言われて。兄も三浪して医学部に行ったんです。私はなぜか「女の子だから」って理由で私立の医学部を受けさせてもらえて、藤田医科大学っていうところに通ったんですが。当時は同級生に国公立を目指していた人が全然いなかったので、センター試験を受けたっていうだけで珍しがられました。金髪でピアスがいっぱいの人、中卒で他の仕事をしていたけど医者になりたくて入学した人など、とにかくいろんな人がいて。自分がいかに狭い世界で生きていたかを初めて思い知りました。いろんなことから解放されて、親の価値観を抜け出して、本当にいい学生生活でした。

常石:それを聞いて安心しました。大学に入るまでの辛かった時期を思い返すと、どんな親子関係でありたかったと思いますか?

さわ:やっぱり、「勉強ができなくても愛してるよ」っていう一言が欲しかったですね。きっと心の中ではそう思っていてくれたと思うけど、ちゃんと言葉で言ってほしかった。

常石:受験に取り組んでいる親子を見ていても、「子どもを追い込もう」と思って追い込んでいる親なんてほとんどいません。心の中では「大切だよ」「愛してるよ」と思っていても、それが態度に出ていないだけなんですよね。

さわ:これは精神科の診察室でもよく聞く言葉なんですが、「子どもがやりたいって言うからやらしている」と。

常石:きっと親に対する忖度で、親のオーラがそう言わせている可能性がありますよね。

さわ:コントロールしようと思っている人は少ないかもしれないけれど、結果的にそうなってしまう。愛情のつもりが支配になってしまうんですよね。あとは、「あの子の方が後に塾に入ったのに成績がいい」「せっかくお金をかけたのにこんなのもできなくて情けない」とか、そういう言葉がどんどん劣等感を植え付けてしまいます。

劣等感そのものは決して悪いものではないんです。小学生の頃は万能感が優位で自信たっぷりだった子が、集団生活の中で「一番になれないこともあるんだ」と学んでいくのは正しい発達過程なので。そういった自分を客観視する中で自然と生まれた劣等感ならいいのですが、親や学校の先生、塾の先生から「あなたは他の子より劣っている」と言われて生じた劣等感は、子どもに不必要なものだと思うんです。その不必要な劣等感を子どもに与えてしまうなら、その受験はやめた方がいいんじゃないの?って思います。

常石:本当にその通りなんですが、不安になった親はどうしてもそういうことを口にしてしまうことがよくあって…。簡単には離れられない、長い年月を共に過ごす親子という関係において、劣等感を植え付けないためにどんなことを意識したらいいのでしょう?

さわ:子どもの年齢によっても違うと思いますが、まずは無条件に存在を肯定する行動をすることでしょうか。他者から無条件に存在を祝福されるという、人の根底の自信をつけてあげる必要があると思うんです。その自己肯定感がないと、大人になった時に苦しい思いをすることにつながってしまう気がします。

親も子も「不完全な自分」を受け入れるべき。

常石:子どもの前で怒らない、不安な顔をしないなど、常に完璧な状態で接するのってなかなか難しいなと思っていて。保護者に何か1つお願いをするとしたら、どんなふうに伝えるのがいいと思いますか?

さわ:私からは「自分の人生を楽しんでください」って言いたいです。受験をする子どもの親って、みんな子どものことばかり考えているんですよ。成績がどうだとか、塾がどうだとか。もちろん親として責任持って子育てする必要がありますが、「あなたにもあなたの人生がありますよ」って。親である以前に一人の人間で、社会の一員ですから。「受験生の親」というのはあくまで一つの顔で、それ以外の自分もちゃんと大切にしないといけないと思うんです。

常石:なるほど。それは新しい視点です。

さわ:例えば子どもの受験で悩んでいるお母さんに「最近自分のために時間使っていますか?」「趣味はなんですか?」って聞いてみて、その答えが子ども一色になっているとちょっと危ない。すべてのエネルギーが子どもに向かってしまうと、子どもにとっても良くないんじゃないかなと思います。

常石:頭の中が受験でいっぱいになって、それが子どもに悪影響を与えてしまうくらいなら、他のことにエネルギーを分散させるくらいがちょうどいいのかもしれませんね。

さわ:そう言っている私も、自分の子どもに期待したり、嫌なことを言ったりしちゃうんですけどね。私が通っていた南山はクリスチャンの学校で、定期的に神父さんのお話があったんですが、そのお話に救われた部分がとても大きくて。愛知や三重からトップの子が集まる学校だったので、教育虐待に近い家庭の子がいるってことをきっと神父さんも理解していたんですよね。だからか、「あなたたちは存在そのものに価値がある」「成績で価値が決まるわけじゃない」って話を何度もしてくれて。それを聞いて泣いちゃう子もいっぱいいて…。その時に聞いたお話が今でも私の根っこにあるってすごく思うんです。

だから、そんな母校に自分の子どもも通わせたいって思っちゃったんです。ASD傾向で対人の緊張が強い子なんですが、勉強は得意だから受かるかもと思って。結果は一次試験でダメだったんですが、その時に気づいたのは、きっと私は自分の経験していない学校に通わせるのが不安だっただけなんだってこと。私は親の希望で小学校から私立だったので、生まれてこのかた私立しか通っていなくて、そのせいで公立小学校に対して勝手に不安になってしまっていた。でも、いざ公立に通わせてみたら、いい学校だし、先生たちもいい人だし、不安になる必要なんてありませんでした。「自分の知っているレールに乗せたら安心だ」と思い込んでいた自分がバカだったなと反省するきっかけになりました。

常石:「あそこだったら安全だ」と自分の母校に通わせたがる親はとても多いように感じます。

さわ:そうやって「自分が不安だから」という理由で子どもを受験させるのはやめた方がいいと改めて思いました。仮に同じ学校に通えることになったとしても、親に合っていた環境が必ずしも子どもに合うとは限らないですし。

常石:本当にそうですよね。

さわ:あとは、最後の選択は子どもにさせるということも大切ですね。「この学校ではこんな勉強ができるよ」という情報と選択肢を与えてあげるのは親の役目ですが、最終的に何を狙いとるかの選択は、子どもの意見を尊重してあげた方がいい。仮に受験の準備を進めている最中でも、子どもが「やめたい」と言ったらその意思を尊重してあげたりだとか。日本人の性質として「ちゃんとしなきゃ」という意識がみんな強いんですが、完璧じゃなくたっていいんです。私だって精神科医なのに娘の気持ちを考えずに怒っちゃうことがあるし、ダメな親です。でも、自分のダメさを受け入れられる状態じゃないと、子どもの不完全さを認めてあげられないと思うんですよね。

常石:親も子も、お互いに不完全でいいと。

さわ:私自身も、自分の弱さや未熟さを受け入れてからすごく生きやすくなりました。そうやって「自己受容」ができてこそ、他の人のことも受け入れられるようになるはず。親が「どんな自分でも大丈夫」って思えていれば、仮に子どもが受験に失敗したとしても笑顔で子どもを励ませると思うんですよね。

常石:親がご機嫌でいるだけでも、子どもは自分を肯定しやすくなるような気がします。

さわ:そして、たとえ子育て中に不安に襲われたとしても、「不安になることを恐れない」というのも大切。人間みんな、生きていたら不安になるに決まっているので。不安になることやわからないことを恐れずにいた方が、きっといい親子関係を築けるのではないでしょうか。

常石:勉強を頑張っていると、どうしても「わからないことはダメ、わかるまでやる」という方へ向かって頑張りがちです。わからないことも受け入れる、というのは新鮮ですね。

さわ:心理学にはネガティブケイパビリティ(=答えが出ない事態に耐える力)という言葉があるんですが、まさにその力が必要だなと。もちろん偏差値を上げるためにはわからないことを無くさないといけないので、「成績を上げること」と「わからないことを受け入れること」のバランス感覚が難しいとは思うのですが。

悩んだ時、答えは目の前の子どもの中にある。

常石:先ほど劣等感や自己肯定感のお話もありましたが、仮に中学受験に失敗して劣等感でいっぱいになってしまったとして、その先の人生でちゃんと自己受容できるようになるにはどうしたらいいのでしょうか?

さわ:難しい問題ですが、まさに私がそうでした。まずは、「ダメな自分でもいい」っていう許可を自分に与えること。「こんな自分は生きる意味がない」「消えたい」とか、そう思ってしまうことすらも受け入れる。「生きていたくない」って思っても大丈夫だし、この感情はダメ、これはいい、ってジャッジする必要もない。

憎いから相手を攻撃したり、イライラするから物に当たったり、そういった“行動”には責任が伴いますが、「感情は自由」ということを患者さんにはよく伝えています。

常石:それは大事な観点ですね。受験を控えた子どもたちも、「もう勉強したくない」「逃げ出したくない」って思うこと自体はまったく悪いことじゃないと。

僕は塾の現場にいる身として、「こうしたら子どもが傷つかない」「こうしたら親子関係がうまくいく」っていうわかりやすいノウハウを求めてしまうんですが、今日さわさんのお話を聞いていて、そんな単純なことではないんだと改めて感じました。まずは自分自身を受け入れることから啓蒙していけたら、直接的な行動に繋がらなくてもいい方向へ向かっていけるのかなと。

さわ:子育てに関して、「こうしたらOK」というマニュアルなんてないんだと思います。私の本も、「すごく参考になりました」という人もいれば「結局何をどうすればいいかわからななかった」という人もいて。患者さんからも「どうしたら子どもがちゃんと勉強するんでしょうか?」ってよく聞かれますが、その答えはたぶん私の中にはなくて、あなたとあなたの子どもの中にあるんですよね。親や先生って、「あなたはどうしてほしいの?」って質問を意外としないんです。直接聞かずに、感じ取ろうとしがちだから。

常石:そうですね。感じ取ろうとしたり、他の場所から正解を持ってこようとしたり。

さわ:でも、同じ子なんて1人もいないんだから、マニュアルや過去の例が通用するわけがない。「答えは目の前の子どもの中にある」って広く伝えたいですね。何か不安になった時は、まずは一度立ち止まって、自分と子どもの本音に耳を傾けてみてもらいたいです。

<対談ゲスト プロフィール>

精神科医さわ(児童精神科医)

1984年三重県生まれ。開業医の父と薬剤師の母のもとに育ち、南山中学校・高等学校女子部、藤田医科大学医学部を卒業。発達ユニークな娘2人を育てる母でもあり、長女の不登校と発達障害の診断をきっかけに「同じような悩みを持つ親子の支えになりたい」と2021年に塩釜口こころクリニックを開業。著書に『子どもが本当に思っていること』『児童精神科医が子どもに関わるすべての人に伝えたい「発達ユニークな子」が思っていること』(共に日本実業出版社)『「幸せそう」にならなくて大丈夫』(光文社)「また話したくなる人がやっていること」(すばる舎)などがある。

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