議論
中学受験はなぜ過熱する? おおたとしまささんと考える「健全な中学受験」のあり方。
コロナ禍の一斉休校も中学受験の追い風に?
常石:おおた先生、今日はよろしくお願いします。先生は『勇者たちの中学受験』や『なぜ中学受験するのか?』など、中学受験にまつわる著書を多数出版されていますが、今日はそんな教育ジャーナリストの視点から中学受験について語っていただければと思っています。
おおた:よろしくお願いします。自分としては、中学受験の専門家っていう自覚はないんですけどね(笑)。教育全般について書いているんですが、中学受験の記事はとてもよく読まれる。ニーズが高いし、拡散されやすいんです。
常石:それは中学受験が過熱していることと影響し合っていそうですね。どの教育も等しく大事なはずが、「中学受験」が注目されすぎているというか。
おおた:「親の自分が知らなかったせいで我が子に損があったら困る」「ありったけのお金と時間をかけて情報収集しなくては」という強迫観念が一番強く働いてしまうのが、この中学受験なんだと思いますよ。
常石:おおた先生に限らず、この10年くらいで中学受験についての本を書く人が増えた印象があります。
おおた:もう今、飽和状態ですよ。自分の意識としては、中学受験そのものというより、例えば「男子校ってどんな環境なんだろう」「名門と呼ばれる学校ってどんな授業をしているんだろう」という内容を書きたいと思っています。でも、そういう学校に入るためには中学受験が必要だと。その中学受験のやり方を間違えたら、親子関係が壊れたり、不幸に向かっていってしまう。それを防ぐために、「本当にそこまでして中学受験するべきなのか?」ということを書いているんです。僕の中学受験の本って「こうやったら偏差値が上がる」なんて一つも書いていませんから。
常石:私も「本当にそこまでして中学受験するべきなのか?」という想いが強いです。さて、現状として、中学受験の受験者数は増え続けています。2026年は少し減りましたが、子どもの数が減っていることを考慮すると、受験をする子どもの比率は上がっていると。そこにはどんな背景があると考えますか?
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おおた:原因の1つとしては、コロナ禍の一斉休校が追い風になったと思います。世の中の公立の学校がフリーズしてしまった中、私立はいち早くオンラインに切り替えましたよね。別にオンラインをやったからって大したことはないと思いますが、公立の弱さがが如実になった時に、「やっぱり私立がいいよね」となった。公立は横並びの組織だから、勝手にオンライン始めますってわけにいかないじゃないですか。その点、私立は校長がOKすればすぐに始められる。その差が、ものすごく印象に残っちゃったんですね。
常石:なるほど。
おおた:他には、教育格差の議論が過熱したのも影響していると思います。2019年に『教育格差』という本がベストセラーになって、親の職業や所得、学歴によって子どもの最終学歴がほぼ予測できてしまうという理論が広まったんです。そうすると、子育て中の親は「自分の子どもを負け組にしちゃいけない」と焦ってしまう。少し無理をしてでも、「偏差値の高い学校に入れてあげないと」と考える人が増えたわけですね。
常石:教育格差という言葉が広まったのは、かなり大きな影響だと思います。コロナ禍は、公立の学校はマスクをして学校まで宿題のプリントを取りに行かなきゃいけない一方で、私立はオンラインですべて完結していて。たしかに差が出ましたよね。
おおた:「いつまで学校休みなの?」ってみんなが心配する中、オンラインで楽しそうに授業をやっている私立が過度にキラキラ見えすぎちゃったなと。昔の中学受験って、男子は開成、女子は桜蔭を目指すような、みんなに羨ましいって思われるような学校を目指す人たちのイベントだったんです。でも、コロナ禍を経た今は“腐っても私立”という考え方が広まり、そこまで高望みをしなくてもそこそこの私立に入ればいいっていう考えが広がっているように感じます。

偏差値ではなく“美学”で選ぶという選択肢も。
常石:「そこそこの私立でいい」という考え方が広まっているとはいえ、第一志望に合格できるのは男子で約4人に1人、女子で約3人に1人。しかも、約6人に1人は全落ちになってしまうという現状を考えると、厳しい挑戦をしてまで偏差値の低い私立を受験するくらいなら、公立でいいと考える人々もいるのではと思うのですが…。
おおた:まさに厳しい挑戦で、言ってしまえば負け戦ですよね。でも、開成や桜蔭に比べて、偏差値の低い私立がダメな学校かって言ったら全然そんなことはありません。私立にはそれぞれの理念、あるいは美学がある。その美学を、学校に6年間通うことによって身に染み込ませるわけです。別に美学がなくたって生きていけるから、つまりは贅沢品ですよ。外車1台分くらいの塾代と学費をかけて、私立が掲げる美学を身につけるという贅沢。そこに関しては、偏差値の高い低いや大学進学の実績は関係ないんですよね。
常石:みんなが本当にそういう基準で受験校を選んでいるのであれば、こんなに悲劇は起きていないのではないかと思うと、やはり親はどうしても偏差値に引っ張られてしまうのかなとも思います。
おおた:そのとおりです。先ほど常石さんが「偏差値の低い私立を受けるくらいなら公立に」とおっしゃっていましたが、それもまさに偏差値に引っ張られてしまっているんですよね。たしかに開成の子たちは頭の回転が早いし、言語化能力も高い。でも、そういう賢さとは違う、魅力や輝きのある学校もたくさんあって。ただ、大人はどうしても偏差値で考えてしまう。「どこでもいい」って言いながら、心の奥では「できるだけ偏差値の高いところに」って。その価値観を捨てられないのであれば、中学受験をやめた方がいいよって僕は思います。
僕はよく、中学受験を“大冒険”だと例えます。勝ち目のない冒険を歩んでいくのだから、まっすぐ順調に進めるわけがなくて、苦しみがあって当然。そういう前提で受験をするならいいと思うんですけどね。だってほら、自分より強い相手が待っているリングに上がっていくのって、それだけでかっこいいじゃないですか。ロッキーみたいに最後まで立ってたら、それだけで何かの証明ですよ。
常石:塾の合格実績は偏差値の高い学校だけアピールしているし、ネットの記事などでも「偏差値を上げるには」みたいな情報ばかり入ってくるじゃないですか。そういう状況下で偏差値ではなく美学で進路を決めるのは、なかなか難しいなと思います。

おおた:僕も「一度冷静になった方がいいですよ」っていう文章を一生懸命書いているんですけどね。よくあるのは、ある子は中学受験して私立の中高一貫校に通って、ある子はずっと公立に通ったとして、その2人が大学で同じクラスになったと。「じゃあ中学受験意味なかったじゃん」って言われることがあるけど、そういうことじゃないんだよって。私立に行くってそういう目的じゃないからねって伝えたいです。
常石:偏差値ではなく美学を重視して受験するのはとてもいいなと思いつつ、実際はその美学を選ぶのも親なのかなと思ってしまう部分もあって。小学生の子どもが自分で決めるなんて難しくて、結局、親が行かせたいところを受験させているっていう側面も大きいですよね。
おおた:それもあるでしょうね。僕は、校風と合う合わないっていうのは、意外と子どもはちゃんと適応できると思っていて。それよりも、担任と合わないとか、クラスメイトと合わない方がよっぽど大変。それはどこの学校に行ってもあり得ることですが、そこで大切なのは、うまくいかない人間関係を本人の力でどう乗り越えるか。それって、“自分で学校を選んだ”という意識があるかどうかが影響すると思うんです。入学後に嫌なことがあっても、「自分でこの学校を選んだんだから頑張ろう」と思えるかどうか。親が勝手に決めて言われるがままに受験しちゃうと、「お母さんお父さんのせいで僕はこんなに嫌な思いをしているんだ」って人のせいにしたくなっちゃいますよね。だから、たとえ演出でもいいから、自分で選んだと思わせてあげてほしいです。
常石:その納得はたしかに大切ですね。ただ言われるがままに勉強して受験して、という生活だと子どもにとっては辛いだけになりかねない。
おおた:そのためにも、学校の偏差値に関係なく、それぞれの学校に魅力があるってことを伝えていきたいと思っています。正直に言うと、世間からの評価を集めたい学校が、受験者を集めるために良い進学実績を出そうとしているのも事実です。そうすると子どもたちは、中学受験を終えてもお尻を叩かれて勉強する羽目になる。生徒たちが、広告のための道具になるということです。学校経営としては進学実績も欲しいのはわかりますが、それはあくまでも結果であるべきで、それ自体が目的化すると、「教育」からどんどん離れていくと僕は思います。
中高一貫校へ行くメリットの一つに、高校受験をしないで済むというのがありますよね。反抗期と受験を両立する必要がなくなる。中3や高1で思いっきり中だるみできるのが、中高一貫校へ行くメリットだと思うんです。でも、一部の私立校は「うちは中だるみさせません」って。それはどうなの?と個人的には疑問を持っています。世界的に見ると、高校受験があるのって珍しいですからね。OECDの学習到達度調査で日本はいつも上位だけど、あれはなぜかというと、他の国は中学3年生で受けるものを日本だけ「中3は受験で忙しいから無理」って高校1年生で受けているから。高校受験勉強で、めちゃめちゃ勉強した直後ですから、学力が高いのは当たり前なんです。
常石:それはびっくりです。世界中が高1で受けていると思っていました。
おおた:世界中の子どもが反抗期や中だるみを謳歌している時に、日本の子供たちはめちゃめちゃ勉強させられているわけです。そこには戦後日本の学制改革が関係しているわけですが、本当は一番大人に反抗して社会に抗いたい時期に高校受験が重なって勉強ばかりさせられるのは、精神的自立や自我の確立の妨げになっているのではと僕は思ってしまいます。
受験者が増える一方、椅子が足りていない現状。
常石:小学6年生の中学受験も、やっぱり良し悪しあるじゃないですか。どのタイミングで受験すべきかって、その子の発達の様子に応じて検討するのがいいんでしょうか。
おおた:もう、いつやっても一緒だと思いますよ。子どもの心なんて素人が見たってわからない。僕が見たってわからない。12歳でやろうが、15歳でやろうが、受験が子どもの心身に与える悪影響はそれぞれにあると思います。どっちがベターかなんて議論は不毛です。選択したものを事後的に正解にするしかありません。ただし、高学歴を手に入れることが至上命題なら、究極、通信制高校に所属しながら毎日予備校で勉強して偏差値の高い大学に入るのが一番効率的ですよ。良い最終学歴を得るっていう意味では。
常石:学歴を得ることだけが目的なら、極論そうです。でもやっぱり、学校生活を楽しんでもらうためには、偏差値や学歴以外のことも考えないといけないですよね。そこのバランスを親がどれだけ冷静に捉えられるかが難しいところだなと思います。
おおた:今、中学受験者総数と定員総数を見ると、椅子が足りない状態になってしまっているじゃないですか。どこにも入れない子が生まれるこの状況を、僕は良くないと思っています。2019年までは男女合計の合格率が100%を超えていた入試全入時代だったんですけどね。
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おおた:女子は106.0%だから、選り好みしなければどこかには入れる。それに対して男子は84.4%となっていて、より熾烈ですね。だからって、この少子化の時代に定員を増やしてくれっていうのは難しい。もうこれ以上受験者が増えないでくれ、学歴が欲しいだけの人は中学受験しないでくれって思ってしまいますよ。美学を求めて中学受験する人に椅子を譲ってほしい。難関大学に行きたいだけなら、公立高校からでも十分いけますから。
常石:供給側がどうにかするのではなく、受験する側の意識を変えてほしいっていう。
おおた:そのためには、公立高校に頑張ってもらうしかない。日比谷や国立、西高に頑張ってもらって、「公立高校もいいじゃない」ってシフトしてもらう。学歴ではなく理念や美学が欲しいという人は、偏差値に関わらず私立を受ければいいと思いますが。
常石:でも、今は私立高校の無償化によってますます私立が強くなってきていますよね。例えば大阪の状況を見ていると、公立高校が減っても私立が残っていくのかなと感じます。
おおた:その可能性はあると思います。だからこその無償化だと思うんですよね。海外だと、オランダやベルギーなど、私立でも無償の国はありますから。設置者が誰かに関わらず、学校は公教育を支えるものであると。特にヨーロッパでは、教育は公共財だという思想が根付いています。日本でも、私立だけお金を取るのはおかしいって明治時代の頃から言われていたんですよ。少なくとも義務教育の間だけは無償の方がいいってずっと言われて、今ようやく動き出している。みなさん勘違いしていますが、実は一生徒あたりにかかっている教育費を計算すると私立も公立も変わりません。むしろ公立の方が少し高いくらい。税金で賄うから自腹を払う分が少ないだけで、教育にかかっているお金は大きいんです。「私立はお金があるからいい教育ができる」という理屈はマクロで見ると間違っているんですよ。

中学受験は親の未熟さを炙り出すイベント。
常石:中学受験に向いている子、向いていない子ってあるんでしょうか?
おおた:そんなのあるわけないですよ。でも、中学受験に向いている親と向いていない親はいると思います。一生懸命やってる子どもの頑張りを評価できなかったり、人と比べてしまったりするような親はやめた方がいい。それは、中学受験が悪いんじゃなくて、親が悪いんだよって。
常石:親として心配したり期待したりしてしまう気持ちはわかるんですけどね。子どものことが心配でしょうがなくて、なんでもやってあげたくなっちゃうし、それが子どものためになると信じている。そういう意味では、10代半ばで経験する高校受験の方が、親の過干渉に影響されることなく受験を頑張れるんでしょうか。
おおた: 12歳の時は親の力がまだまだ強いから、コントロールされやすいし、大変なのは自分のせいだって思わされやすい。思春期になれば、「うっせえよ」って反抗できる。受験と反抗期を両立させなきゃいけない親は大変ですけど(笑)。反抗期に関わらずプレッシャーをかけ続けると、もう受験どころじゃなくなってグレちゃったりするのもよくある話ですよね。
常石:なるほど。
おおた:逆に言うと、親の言うことを素直に信じてくれる12歳の子どもの方が、親次第でその子の受験を良いものにできる可能性がある。どんな結果であれ、「君らしい中学受験になったね、立派だったよ」と笑顔で褒めてあげられれば、子どもにとって失敗じゃなくて成功になります。例えば、運動が苦手な子が野球チームに入って、いつも補欠だけどやっと出られた試合で空振り三振だったと。それでも、子ども想いの親だったら「頑張ったね、スイングかっこよかったよ」「毎日素振りしてたのを見ていたよ」と言ってくれますよね。受験もそれと同じように言ってあげられたら、成功になるはず。
常石:先生の著書にも、うまくいった時だけ褒めるのではダメだと書かれていましたね。それって受験だけじゃない、勉強だけじゃないと思うんです。親子関係に限らず、会社のマネジメントもそうだし、人間関係ってだいたいそうです。
おおた:つい不安になって叱っちゃうのもわかりますが、その不安とどう戦うか。僕はそういう親の不安や欲望を“内なる魔物”と呼んでいます。自分の内にいる魔物とどう戦うか、どう折り合いをつけていくかが、親にとっての修行なんです。その魔物を手懐ける自信がないんだったら受験なんてやめた方がいいよって。
イライラや不安の矛先を子どもに向けるのではなく、一度自分の中で「なんで私はこんなに怒っているんだろう」「どうして不安になっちゃうんだろう」と考えてみてほしいです。きっと親の中にある古傷が原因だと思うから、まずはそこに向き合った方がいい。この中学受験が自分自身と向き合う機会をくれたんだと思えると、子どものせいにしづらくなるんじゃないでしょうか。
常石:子どもだけでなく、親も一緒に成長する必要があるんですね。
おおた:中学受験っていうのは、親の未熟さを見事に炙り出してくれるイベントです。怒ったり悲しんだりといった感情のアップダウンは親が親であるがゆえに感じるもので、決して悪い喜怒哀楽ではない。きっと最初はたくさん失敗すると思います。子どもを傷つけてしまうこともあると思うんですが、これは親子で困難を乗り越えるためのいい修行だと。最初からできなくていいから、受験本番を迎えるまでにそこそこの親になれれば立派だと思うんです。
常石:最初から完璧にやろうと思わず、まずはレベル1からでいいと。
おおた:そうです。よっぽど酷いことをしなければ、子どももそれを糧にしてくれるはず。だから信じるしかないです。

受験のエピローグを書いてあげるまでが親の仕事。
常石:すでに中学受験に取り組んでいて、勉強しない子どもが気になって仕方ない、隣の子どものことが気になって仕方ないっていう保護者が、健全な中学受験にシフトする手段って何かないんでしょうか?
おおた:一番いいのは、ありのままの子どもを受け止めるってことではないでしょうか。
常石:ありのままを受け止めるってとても難しいですよね。おおた先生みたいな人がそばにいてくれたら意識できるかもしれないけれど、そういうメンター的な存在ってなかなかいないですから。夫婦間でケアすると、家族の関係が余計に拗れてしまったりもするし。
おおた:本当は塾の先生がその役割を担うのがベストなんです。先生は子どもを目の前で見ているから、彼らのことを一番よくわかってくれています。子どもを「頑張って」と応援しつつ、親御さんには「のんびりさせてあげてくださいね」と声をかけてくれるのが先生なので。
常石:そういう塾に通えると心強いですね。
おおた:現場の先生たちはそう思っている方がほとんどですよ。子どもたちがどれだけ苦しい思いをしているか、彼らは近くで見ていますから。アクセルとブレーキの使い所を親以上によくわかっていると思います。そういう良い先生に出会うには、さっき話していたような、合格実績ばかり宣伝している塾はできれば避けた方がいいと個人的に思います。偏差値以外も大切にしている塾に通えると、子どもが苦しむことは減るんじゃないでしょうか。
常石:仮に受験に失敗した時に、子どもにとって大きな挫折として心に残ってしまったり、勉強自体を嫌いになってしまうという可能性もあると思うんですが、そこにはどう対処したらいいのでしょう?
おおた:まず、中学受験の失敗って何なのかって話だと思います。不合格を喰らうのが失敗だと親が思っていたら、子どもにとっても失敗になってしまう。やっぱり子どもにとっては、親の価値観がそのまま自己評価になってしまいます。僕は、第一志望に行くことが中学受験の最高の結果だと思っていなくて。せっかく中学受験するんだったら、ちゃんと悔しい思いを味わうのも一つの価値だと思うんです。
怖いのは、ロボットみたいに必死に勉強して、第一志望のトップ校に受かって、親にとってそれが成功経験になってしまうこと。その親はきっと大学受験でも同じことをすると思うんです。そういう家庭の子どもの中には、中学入学後、酷い点を取ったり不登校になったりすることがあります。それって、“試し行動”をしている可能性があると思うんです。要するに、「僕はあなたたちの期待にずっと応えてきたけど、僕が期待どおりの成績を取れなかったら、あるいは期待どおりの大学に進学できなかったら、あるいは「みんなからすごいと言われるような名門校の生徒ではなくなったら、それでも僕のことを愛してくれる?」っていう試し行動です。逆に言うと、第1志望がダメで、第2志望や第3志望に進んだ子でも、「最後まで頑張ったね」「受かったこの学校が、君が来るべき縁がある学校だったんだよ」って言ってもらえれば、「自分がどんな学校に進むことになっても、この親は自分を自分として認めてくれているんだ」という自信を得られて、強い子どもになると思いますよ。一生の傷になるか、その先の糧になるかは、親の反応次第なんです。
常石:場面場面で子どもを怒らないっていうのはどうしても我慢できなかったりするかもしれませんが、受験が終わった時に結果を受け入れて、子どもを認めて褒めてあげるっていうのはなんだかできそうな気がしますね。たとえ受験勉強が辛くても、結果に関係なく「よく頑張った」って言ってもらえれば、それで癒える傷もあるのかなと思えてきました。
おおた:そうすればきっと、傷が真珠になりますよね。受験の失敗はしばらくの間はほろ苦いけど、いつかうまみに変わっていきますから。長い人生の中で、そのほろ苦さをうまみに変えていった経験が活きる時がきっと来る。だから、親として未熟なところから始まったとしても、入試本番を迎えるまでに、どんな結果であっても心から称えることができる、我が子のことを称えることができるような親を目指してほしいです。とはいえ、思い描いた結果にならなかったら、やっぱり落ち込むと思いますよ。それでも、ご縁があって通うことになった学校の、“ここに来るべき理由”をしっかり子どもと話した方がいい。「この先生に会うためにこの学校に来たんだね」「この友達と出会うためにここに来たんだね」とか、そういうものを後からでも拾い集めることで、自分自身も子どもも納得する。「この学校に来てよかった」という中学受験のエピローグを書いてあげるんです。そこまでが親の仕事だと思いますね。
常石:それまでどれだけ落第な親でも、受験が終わった時の対応を心から間違えなければ、まだ救われるものがあると。第一志望に合格することがゴールじゃない、将来のことを考えるとむしろ不合格の方が大きな糧になる可能性があるというのは、塾としてしっかり伝えていきたいなと思いました。それが健全な中学受験の一つのヒントになのかもしれませんね。
おおた:そうですね。やろうと思ったら、とことん子どもをコントロールできてしまうのが12歳の受験の恐ろしいところです。逆に言うと、どんな結果であれ最後に親が満面の笑みでしめくくってやることができれば、それがその子にとっての「サクラサク」になる。子どもにとって、親の笑顔ほど心温まるものはありませんから。「咲く」ってもともと「笑う」って意味なんですよ。どんな結果であれ、最後に親が笑顔でいられれば、子どもも中学受験を笑顔で終えられるんです。それが「中学受験必笑法」です。そういう親になることを目標に、中学受験を始めればいい。「どれだけ高い偏差値の学校に合格できるかではなく、中学受験を通してどれだけ人生に通ずる教訓を得られるかが大事だ」と捉えることができたら、「必笑法」は9割方成功したも同然です。

<対談ゲスト プロフィール>
おおたとしまさ(教育ジャーナリスト)
1973年東京都生まれ。株式会社リクルートから独立後、育児や教育をテーマに執筆・講演活動を行う。主な著書に『ルポ名門校』(ちくま新書)、『勇者たちの中学受験~わが子が本気になったとき、私の目が覚めたとき』(大和書房)、『中学受験「必笑法」』(中公新書ラクレ)など。中高一貫校の校長先生とトークするポッドキャスト番組にもレギュラー出演中。